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岡田武史とレジェンドたちが斬るFIFAワールドカップ

 岡田武史とレジェンドたちが斬るFIFAワールドカップというNHKの番組を見ました。

 日本サッカーがワールドカップに出ていないとき、ドーハの悲劇ジョホールバルの歓喜、以後のワールドカップ出場の歴史について、語られます。

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       NHKネットクラブのページより

 

 ドーハ以前、日本がワールドカップに出るというのはまだ夢の話でした。それを岡田武史さんや木村和司さんが話しているのを聞くと、隔世の感がありますが、当時はそれが当たり前でした。

 ドーハの前にも、日本がワールドカップに近づいたときがありました。しかし、木村和司さんが言った、まだ早かった、という言葉は重たかったです。

 

 今も語られるドーハの悲劇。あのシーンはリアルタイムで観ましたが、その後も、何度も放映され、完全に脳裏に焼き付いています。歴史にもしもはありませんが・・・カズがアメリカ・ワールドカップのピッチに立つ姿を見てみたかったです。

 ハンス・オフトが日本に新たな基本をもたらしたことを伝えていました。アイコンタクト、トライアングル、ゾーンという今では当たり前の言葉を浸透させたことなどです。そういえば、あのころ、みんなよくこの言葉を使ってたな^^

 フランス・ワールドカップジョホールバルの歓喜加茂周監督の更迭とそのあとを岡田監督が引き継ぐ。葛藤もあったようです。考えれば、当時コーチであった岡田武史さんは加茂周政権の中枢にいたので、その責は近いものだったと思います。1試合の約束で引き受けますが、選手をみて、そのあとも引き受ける決意をして、加茂監督に伝えたとのことでした。

 岡田さんはマスコミ・プレッシャーから選手を守るため、体を張ったと言います。監督業だけでなく、本当に大変だったと思います。当時、41歳であったというのもすごいなと思いました。

 初出場のときの雰囲気は、異常な盛り上がり・興奮があったと思います。本当に大変だったと思います。

 監督になっても、岡田さんは、ジャージでした。それが、スーツの支給が1着しかなかったから、という裏話には笑いました(後に2着にしてもらったようです)。

 

 日韓ワールドカップトルシエ監督のときに、スリーバックでラインをあげると安定しないと思った選手から、岡田さんに電話で相談があったこと、それを踏まえて、選手が自分で考えて、行動したこと、それにトルシエ監督が怒ったことなども面白かったです。

 

 南アフリカワールドカップ:中距離のパスの精度が思うように上がらず、苦悩し、韓国戦後に突然戦術を変更する様子が本人から語られ、とても興味深かったです。

 

 香川真司選手が、日本がワールドカップに出場するのは当たり前といっているのを聞いて、親父たちが、怒っていたのがおかしかったです。

 ワールドカップに出たことがある国とそうでない国の違い、その壁をなかなか越えられなかった時代。

 ワールドカップに出れるようになったが、なかなか勝てない時代。

 どの国にとっても、勝つことは難しいですが、いつの日か、日本が予選リーグ突破を高確率で期待できる国になり、そして優勝を狙える国になればいいなあと思います。

 ワールドカップ初戦まで、あと7日ですね。がんばれ、サムライブルー